『学ぶ』とか『教える』とかを考えてみました

こんにちは、高インボムです。

そんなこんなで演奏活動と並行して音楽講師の仕事をやってきて、気がつけば十数年。

某音楽教室と専門学校で講師をつとめ、そのうち自分でドラムスクールを開くようになり、今度はドラムだけじゃなく色んな楽器や歌を学べる教室を運営できたらなぁ、なんて思って今に至ります。

その中で、自分なりにレッスンというものへの思いや考えなどが募ってきたりもして、それらを一度まとめておこうと思い筆を取ってみました。

ではなくパソコンを開いてみました。

 

モノを教えるという仕事にも色んなスタイルがあると思いますが、僕のレッスンは
『(基本的に)こちらからは何もしないというスタイルでやっています。

「何もしない」なんて言うと誤解されそうですが、車に例えると
『運転手が生徒さん、先生はカーナビ』みたいなイメージでしょうか。

車に乗り込んで発進してもらえればこちらは色んな道を案内できるし、立ち寄りたいお店や行きたい目的地を決めてもらえればその方向を指し示す事もできます。

ただ、ハンドルやペダルを操作するのは運転手本人で、エンジンをかけるかどうかも本人次第、と。

 

もちろん未経験者や初心者の方には基礎技術や課題曲などを提示してこちらが主導で進めていく事もありますが、
レッスンが進むにつれて生徒さん自身に【やりたい事】や【できるようになりたい事】などの題材を提案してもらうようにしています

そういうレッスンなので、与えられる事に慣れちゃってる人には少しつまらないかもしれません。

でも反対に、
自分の意思が明確な人や自分で考えるのが好きな人、はたまた音楽について何かしらの好奇心を持っている人には、面白いヒントや選択肢を出せているんじゃないかと思っています

 

何事も自分でやってみるというのが大切と思っているので、そのためには
まずは自分の好きなようにやるというのが必要なんじゃないかなと。

色々と試したりしていく中で、必要に応じて先生という立場の人(場合によっては人じゃない事も)の出番がやってくるのではないかと思います。

そして、そういう状況になった時に先生という立場の人ができる事(やるべき事)というのは、
決まりきった一つの答を与える事じゃなくて、色んなヒントや選択肢を提示する事なんじゃないかなと。

色んな可能性を見せるという事にもなるでしょうか。

なので、先生という立場の人が自分の知識や技を磨くのは(今はプレイヤーとしての話は置いておいて)、
問題を代わりに解いてあげるためじゃなくて幅広い可能性を見せるため、なんて思ったりしています。

 

以前、とある講演で話をさせてもらった時にこんな例をあげましたが、例えば

3+7=□

というような答が一つに決まった問題ではなく、

◯+△=10

てな感じの問いを出してみるのが先生という立場の人の役割なんじゃないかと。

てか、単純にその方がお互い面白いと思うんですよね。

前者のような問題では誰がいつどう解いても答は一つですが、後者では
自分が成長すればするほど色んな解が見出せるし、人と違っててもOKだったりします。

算数を例に出しましたが、音楽でもこんな問いや課題を出すことができれば、先生も生徒もレッスンがより楽しくなるんじゃないかなと常々思いながら試行錯誤しています。

 

と、何だか取り留めもなくダラダラと長くなっちゃいましたが、新たに音楽教室を始めるにあたって改めて自分のスタンスや想いを書いてみました。

 

そういえば、物事を続けていくと時には失敗をしたりしますが、トーマスエジソンは
「失敗ではなく勉強したのだ」と言い、アルフレッドアドラーは
「人は失敗を通じてしか学ばない」と説いたようです。

失敗という経験が学びの元であり成長の種なのだ、みたいな意味で僕は解釈しているのですが、自分の事を振り返っても(笑)やっぱりそうだなと言えます。

そして、『学ぶ』という事が試す事や失敗を繰り返して気付くという事だとしたら、それらを体験するきっかけを作る事が『教える』という事なのかなと。

そんなことも考えたりする今日この頃です。

 

ちなみに僕も、一つ新たな事を学びました。

木の床では何度落としても大丈夫だったタブレットもタイル床では液晶が砕け散る、という事を(涙)

 

「何かを学ぶためには自分で体験する以上にいい方法はない」

byアルバートアインシュタイン

 

では、本日はこれにて。

サラバオヤスミマタアシタ!

(高インボム)